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T-10((テー・ヂェーシチ)は、第二次世界大戦後にソビエト連邦が開発した重戦車。 開発時の名称はIS-8(、スターリン8型)。 == 概要 == 第二次世界大戦終了直後、ソ連軍の装備する重戦車はIS-2、IS-3、IS-4と三種類も存在していた。1948年末、これらの後継となる重戦車の開発が指示され、“オブイェークト730()”の開発名称が与えられて、1949年2月より、チェリャビンスク、キーロフスキー工場の第2特別設計局第100研究所にてJ.Y.コーチン技師の設計チームにより設計が開始された。 コーチン技師はこれ以前に開発されたIS-6やIS-7の失敗の経験を踏まえ、あえて新技術の導入は行わず、IS-3を拡大し改良を加えた発展型として設計した。従来のソ連重戦車より重装甲でありながら馬力に余裕のあるエンジンを搭載したために機動性が高く、無理な小型化を目指さなかったために車内容積には余裕があり、これまでの重戦車に比べると実用性は改善されていた。オブイェークト730は1949年には10両の増加試作車が完成、翌1950年5月よりクビンカ試験場にて評価試験が開始された。 試験の結果を受け、オブイェークト730はIS-8(、スターリン8型)〔当初は1944年より開発され、後にIS-6(、スターリン6型)となったオブイェークト253に予定されていた「IS-5(、スターリン5型)」の名称が予定されており、1952年まではIS-5の制式名が内定していたが、前述のオブイェークト253の他にもIS-5の名称が予定されていた車両(オブイェークト248)があったこともあり、番号を整理するために新たに“IS-8”とされた。〕として採用されることが決定し、1950年末もしくは1951年初頭には生産が開始される予定であったが、エンジンの生産の目処が立たないなど量産化に手間取り、実際に生産が開始できる態勢が整ったのは1952年12月のことであった〔このため、コーチン技師は改良型と称してIS-9、IS-10を計画することによって責任の追及を逃れていた。〕。 しかし、1953年3月5日に死亡したスターリンに代わりフルシチョフが最高指導者となり、一連の「非スターリン化」が行われたのを受け、本車はその名称が問題とされた。“(NKh-1)”、ないしは“(NKh-10)”と改名する((NKh)とはニキータ・フルシチョフのロシア語表記の頭文字を取ったもの)という案もあったものの、フルシチョフ自身によって却下〔フルシチョフはこの提案を「非スターリン化」によって否定されるべき個人崇拝の極み」として一笑に付したという。〕され、最終的にはT-10(、重戦車10型の意)と改名されて1953年11月28日より量産が開始された。 T-10は1957年11月7日の革命40周年記念パレードにおいて一般に公開され、西側の軍事関係者には「スーパー・スターリン」と呼称された。 発展型として変速装置をトルクコンバーター式に変更したオブイェークト266が製作され、1957年よりは改良型のT-10Mへと生産は移行された。1955年よりは本車の設計を発展させたものとして130mm砲を装備する新型重戦車、オブイェークト277の開発が進められていたが、重戦車の戦略的価値に疑問を呈したフルシチョフの命令によって1960年には開発中止となり、T-10はソビエトが実戦配備した重戦車としては最後の車種となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「T-10 (戦車)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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